他人であること
The Songbardsって、ギターの二人が向かい合わせで始まる曲がいくつかあって。
わたしは一生キリンジファンなので、その楽しそうな二人の様子にいつも泣きたくなるのです。
皓平くんと有志くんは他人だからこそこんなに仲良くできるのかな、と思うと、堀込兄弟が兄弟じゃなかったら、みたいな、どうしようもないたらればを考えてしまう。
春の香りに包まれてと悪魔のささやき。曲調は真逆だけど、二人はいつも楽しそうで。
マジックの間奏もそう。何回見ても、あんな笑顔で。
他人って素晴らしいなと思ってしまう。他人だからこそ、分かり合えたらうれしいし楽しい。自分とは違う人間、育った環境も見てきたものも違うからこそ。
違うからこそ、感じられるもの得られるものもあるんだろうなって。
キリンジは。
どうしたってこの未来しかなかったってわかってるんだけど、ツインボーカルツインギター、二人とも作詞作曲するのがわたしの記憶を刺激してしまうのだろうか? ソングバーズの二人が眩しすぎて、いつも心が揺さぶられてしまうんだよ。
キリンジは、ライブ中あんなふうに笑い合ったことなんてなかったな。ラジオも、キキキリンジしか聴いたことのないにわかだけど、グバラジのほっこりさや癒しっぷりにはいつも驚いてしまうくらい、楽しくはあっても絶えず理知的で冷静なラジオだったような気がする。当時インスタグラムがあったとしても、お互いを撮り合うことなんてあるはずがないし(さすがのわたしもそれは想像しただけで怖い)。
いや、わかってるんだよ。他人だったらそもそもキリンジになってない。わざわざ二人でバンドやろうってならない。よくわからない奇跡が起こってバンド組んだとしても、他人だったらもっと早く泰行は出て行ったかもしれない。
兄弟だからこそのキリンジだったし、あの十数年間だった。
なんだけど。
何が言いたいのか、自分でもよくわからないけど*1。
人とのご縁って不思議だ。
あの二人が兄弟だったことも、この二人が同じ大学だったことも。
不思議で、奇跡だ。
だから、行けるうちにたくさん行こう。
奇跡を目の当たりにできる幸せを噛み締めよう。
春の香りに包まれてのイントロのこうへいくんとゆうじくんを見たら何があっても生きていける気がしたし一生忘れたくないな
— ray (@queen__gnu) 2019年9月16日
一生忘れたくないな。